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いくつもの時代が交差する
石段街を歩く

あまり遠くないところで、連れ合いとのんびり温泉に浸かってリラックスしたいと思い、伊香保温泉を選んだ。伊香保のお湯は、期待通りトロリとして肌にまとわりつく感じが心地よい。一泊のあいだに3度も大浴場に足を運んだ。

そして今回はもう一つ楽しみがあった。伊香保は古くからの温泉地で、独特の風情があるとよく評される。その温泉街をゆっくり歩いてみたいと思っていた。

旅館のワゴン車で石段街まで案内してもらった。車から降り、下から見上げる石段は、上に行くほど何かが待っていそうで私をわくわくさせた。石段を真ん中にして両側に、歴史を感じる店々や宿が軒を連ねている。全国でもここが発祥と言われる“温泉饅頭”の老舗や、湯のまち情緒たっぷりの射的場、地元の工芸品を扱う土産物屋など、店先を眺めながら、疲れを感じることなく上へ上へと昇っていく。脇には雰囲気のある路地がいくつも奥へとのびている。

なんでも、この石段街は戦国時代に原型ができたのだとか。「長篠の戦い」のさなかに、武田勝頼が配下の真田昌幸(真田幸村の父)に命じて、負傷した兵士の療養地として整備させたのが始まりだという。石段は砦の役割も果たしていたため、鉄砲の弾が通らないように曲がりくねっているのだそう。源泉は365段の石段を登りきった伊香保神社のさらに奥にある。そこから湯を引き、斜面を階段状に造成して、中央に湯樋を通し湯屋に分配するシステムが築き上げられた。

今も見られる石段の途中で分湯する口を「小間口(小満口)」というそうだ。この湯量を巧みに調整し各宿に配湯する仕組みは、江戸時代に考案され変わらず活用されている。江戸時代は庶民文化が花開き、近隣の水沢寺、榛名神社の参拝を目的とした観光客が多く訪れたそうだ。当時の『温泉番付』にも名が上がる湯治場として江戸の庶民に人気を集めたという。

明治以降には、皇族方が静養に訪れる御用邸が昭和の終戦まで置かれ、眺望のよい温泉保養地として注目されるようになった。
また、文豪や歌人、画家なども好んで来訪する場所となった伊香保には、若き日の夏目漱石の大失恋エピソードが残っている。その後、彼の作品には相手の女性と恋敵をモデルとした登場人物がしばしば描かれているというのも面白い。徳富蘆花は夫妻で生涯に10回も訪れ、代表作『不如帰(ほととぎす)』も伊香保を舞台としている。竹久夢二は、伊香保の少女からもらったファンレターをきっかけに訪れ、この地がすっかり気に入って榛名湖のほとりにアトリエを構えたほどだ。少女の手紙とそれにやさしく答えた夢二の往復書簡が記念館に展示されているという。温泉通で知られる与謝野晶子も伊香保には何度も足を運んだという。晶子が当時の温泉街を詩にした『伊香保の街』が、石段の中腹に刻まれている。著名な文化人たちも、プライベートな時を過ごした伊香保では、あまり広く知られていない横顔を見せているようだ。

平成には、アニメ映画『千と千尋の神隠し』の制作スタッフが、作品のイメージづくりのために訪れたそうだ。映画に登場した湯屋や赤い橋など、モチーフの一つと思われる場所を見ることができた。

石段に戻ると正面にゆったりと小野子山が横たわっていた。戦国時代から近代まで、時の権力者も、文化人も、きっとあの山を眺めたことだろう。この石段の上にはいくつもの時代が交差している。私はそっと目を閉じて、時代を行き来しながら、かつての人々とすれ違う空想に遊んでみた。