私たちのルーツ、西洋御料理 松本楼

ホテル松本楼のはじまりは、今から100年ほど前まで遡ります。伊香保で洋食の店を開こうと志した、松本久五郎、シュツ夫婦は、本格的に西洋料理の修業をするために上京しました。明治の終わりから大正の初めの頃だったと聞いています。

当時、厨房で西洋料理を学ぶなら、上野の精養軒か、日比谷の松本楼と言われていたようで、二人は自分たちと姓が同じことから親近感もあってか、日比谷松本楼さんの門を叩きました。久五郎はすぐに働くことができたのですが、シュツは、女性の料理人が珍しい時代でもあり、何度も頼み込んで下働きから入れていただいたそうです。そのシュツがよく気の利く働き者だったことから大変気に入られ、夫婦で店を出すときは「松本楼」を名乗ってよいとまで言っていただいたとのこと。大正初期、二人は伊香保に帰って石段街で「西洋御料理 松本楼」を開きました。

大正初期⇒1964年|伊香保石段街にて西洋御料理 松本楼として始まる

伊香保には皇室の静養施設として、明治26(1893)年に伊香保御用邸が置かれます。そうした土地柄から、文人墨客や富裕層が好んで長期滞在する温泉保養地でした。一方、明治初期から国策によって取り入れられ、しばらくは上流階級の食事だった西洋料理が、明治後期になると日本で独自にポークカツレツやオムライスが発案され、次第に一般庶民にも広がりました。

「西洋御料理 松本楼」もハイカラな洋食をお出しして大変繁盛していました。特にハヤシライスは評判が高かったようです。とにかくお客様に喜んでいただくことが何よりと考え、長逗留する文筆家に、夜食にと頼まれれば志那そばを麺から打って旅館に届けていたこともあったとか。二代目に代替わりした後は、戦争を挟み、次第に高度経済成長期の中で伊香保は一泊旅行の宴会が増えていきました。食事処より旅館が足りないということで、多くのお客様をお迎えするために、昭和39(1964)年 東京オリンピックの年に、町の方針にならい温泉旅館へと家業を替え、今の広い土地に場所を移して「ホテル松本楼」ができました。

昭和、平成、令和へと時代は移り変わりましたが、私たちは三代、四代と変わらぬおもてなしの心を受け継いでまいりました。特にお食事へのこだわりは初代から守り続けています。今もお楽しみいただける伝統のハヤシソースは、時代の嗜好に合わせ工夫を重ねながら、創業から変わらぬ手間暇をかけて作り上げる味。お客様のお口に合えば幸いでございます。